【第110期講座】2013年10月-2014年03月

本間正人の講座リポート


■「教育学」から「学習学」へのパラダイムシフト
本間正人氏は、京都造形芸術大学で「一般教養カリキュラム開発」を担当し、従来の教育システムの課題や問題点を指摘し、「学習学」という立場から新しい教育のあり方について提唱している。
本間氏によれば、近年の「eラーニング」の発展は目を見張るものがあるという。近年、教育現場での電子教科書の導入はもちろんのこと、MOOCの出現によって世界の有名大学の講義がWeb上で無料配信され、誰でも何処でも一流の教育を受けられるようになってきた。日本における放送大学においても、通信教育の大学院で学ぶことで修士号を取得できるし、今後は博士号も取得できるようになるという。

*MOOC(ムーク)とは:Massive Open Online Coursesの略で、(M)たくさんの人々のための、(O)無料で開かれた、(O)インターネット上の、(C)大学講座。
これは2012年にアメリカで複数立ち上がった「オンラインで公開された無料の講座を受講し、終了条件を満たすと終了証が取得できる」というもので、この教育サービスは世界中で広がりをみせている。今後の高等教育のあり方を大きく変える可能性を持っている。
日本においても日本版MOOCが2013年に、一般社団法人日本オープンオンライン教育推進協議会(略称:JMOOC)として設立された。2014年4月から3講座が開講したが、これから順次たくさんの講座が開講される予定であるという。
(JMOOCの公式ホームページより/ http://www.jmooc.jp/ )

 このように上質な講座が無料で開放され、何時でも何処でも受講できるとなれば、教授が生徒に一方通行で教えるという授業のスタイルには限界がやってくると本間氏は指摘する。
 そこで一方通行の教育スタイル(ティーチング)から、教師と生徒たちが全員参加してお互いに双方向から学び合う学習スタイル(コーチング)への大転換が必要であるという。そのために本間氏は、「FD(ファカルティ・ディベロプメント)を通じて教育環境を整えて、教師が教育力を高める」ことを推進しているとのこと。

*FD(ファカルティ・ディベロプメント):授業内容や方法を改善し、向上させるための組織的な取組みのこと。

 これからますますインターネットを駆使した「eラーニング」が発展することは間違いない。日本における大学の高等教育が従来の教育システムに固執すれば、大学で学ぶ魅力は激減するばかりであろう。
 本間氏が新しい教育のあり方として、生徒たちが積極的に参加し、体験する場としての学習法を提唱するのは確かな必然性がある。

■「学習学」における人間観とは
 本間氏は、松下政経塾の第三期生として松下幸之助翁にその経営哲学から人間の本質について直接学ぶことになった。そこで松下幸之助翁の薫陶を受け、新しい人間観に基づいた人間存在の本質への学びを深めていったという。

 人間の学名は「Homo sapiens sapiens(ホモ・サピエンス・サピエンス)」で、「知恵ある人」という意味である。ここには人間の本質が「知恵をもって考える」ところにあると理解できる。そのほか直立するという意味のホモ・エレクトゥス、器用なヒトというホモ・ハビリス、さらに経済人(ホモ・エコノミクス)、工作人(ホモ・ファーベル)、遊びに着目した命名でホモ・ルーデンス、等々がある。
 人間観とは人間の根本的本質が何であるのかを示すものであるが、本間氏は「学習学」という視点から人間の本質を「学習」にあると捉えている。

「人間とは学ぶ存在である」

 本間氏の「学習学」における人間観を基本にしてみれば、政治家は社会のあり方を学び続ける人であるし、経営者やスポーツ選手から職人さんなど、「すべての人は学び続けることでその道を極めてゆくのだ」ということになる。即ち、人間とは生涯をかけて何か学び続ける存在であり、学校を卒業したからといって学びが終わるわけではない。「生きるということは学ぶということである」との指摘は、あたりまえのようだが実に奥が深いものがある。

本間氏は「最終学歴」という言葉を死語にするという夢があるという。「最終学歴」に何の意味があるのか。そんな過去の業績にしがみつくのではなく、常に「最新学習歴」を更新することが大切なのだと本間氏は主張する。これもまた「学習学」に基づいた人間観から発せられる主張であることは間違いない。

■「学習」の発達過程
 さて本間氏によれば、学習には①「適応」と②「開花・発揮」という二つの視点がある。

①「適応」とは、生命が環境の変化に適応して生き延びるためにとる態度であり、世代を引き継ぎながら進化をもたらすものである。この進化をもたらすものこそ「学習」であり、新しい環境に適応するために努力する過程に見ることができるという。
 人間が変化する環境に適応し学習する過程には、人間同士のコミュニケーションを成り立たせる言語の発達が重要であった。言語の獲得と発達によって、得た知識や貴重な体験を共有することができ、さまざまな応用展開をするようになる。
 さらに文字の発明によって言語を記録することができるようになると、知識と経験を蓄積し、次代に残すことができるようになった。それが印刷され、製本されて多くの人たちが学ぶという「学問」が生まれ、学校で学ぶようになる。
 こうしてみると、人間の歴史はまさに「学習」そのものであったと認識をあらたにする。「学習」なしに人間の精神の深化や科学の発達はなかった。文化と文明の発達の背景には人間の真摯な「学習」があったことを忘れてはならないだろう。

 ②「開花・発揮」とは、一人ひとりがもっている可能性をいかに開花させ、その素晴らしい個性を発揮させられるかが、「学習」の本分であるということである。
現在の教育の現場では、学習能力が早い人と遅い人を一緒にして教師が教えている。これで生徒の一人ひとりがもっている可能性の開花や、個性の発揮に向けてのサポートが十分であるかどうかは疑問である。その教育のペースは教室の生徒たちの平均に合わせるので、学習能力の早い生徒はまだしも、遅い生徒は完全に置き去りにされてしまう。それならば、学習のペースを個人に合わせて学ぶことができる「eラーニング」の教育効果に期待が高まることになり、やがては学校に行くことの意味が見出せなくなってしまうであろう。
もし学校で勉強する意味を見出そうとすれば、集団での体験学習を軸にした「学習学」を導入すべきであると本間氏は強調する。これは「教える」(ティーチング)から「育てる」(コーチング)への教育改革であると。
「人間とは学ぶ存在である」という人間観を基にしてみれば、生涯かけて学び続けるところに人間の人間らしさが顕れる。時代の変化や環境の変化に適応し、私という個人の可能性が限りなく発揮されることこそ、「学習」の本質であるというのは真理だと思う。

■「ヒーロー・インタビュー」に学ぶ
 今回の講座でも本間氏の指導の下で5分間の「ヒーロー・インタビュー」のセッションがあった。会場で初めて出会った人とペアをつくり、一方がインタビュアーとして相手の人生のヒーロー体験を聞き出すというものだ。インタビュアーは、あいづち、うなずき、繰り返しを意識して、相手の人生のヒーロー体験を一生懸命に引き出す。
 本間氏の見事なファシリテーションによって一気に会場は熱気に満ちた。自分の大切な体験を真剣に聞いてくれる人がいるというのは幸せなことだ。何よりも元気になる。そして初めて出会った人との距離感が一気に縮んで、親近感が満ちてくる。双方向で学び合うことの素晴らしい効果のひとつであると思う。
 本間氏によれば、心と心の通い合うコミュニケーションをするためには情緒的表現性が大切であると指摘する。感情表現のボキャブラリーが乏しければ、自分自身の感情を適切に表現できず、相手にも気持ちが伝わらないため、イライラしたり感情を爆発させてしまったりすることにもなる。心が通い合うコミュニケーションをするためには感情表現の教育が不可欠であり、ヒーロー・インタビューのような感動体験を言葉で表現するのは素晴らしいトレーニングである。
 本間氏は、「すべての人がヒーローとなる可能性がある」と強調する。それは早咲きか遅咲きかはわからないが、いつか、その人なりにヒーローとなるのだと。

■「学習学」(コーチング)の基本
人を育てるコーチングとは、一人ひとりは誰もがダイヤモンドの原石であり、必ず磨けば輝いていくと信じて、その人の可能性を引き出していくものである。
本間氏は「最初から輝いているダイヤモンドはありません。ひょっとするとダイヤかもしれないと原石を拾い上げて磨いていく。すると内側からダイヤモンドが輝き始めます。そしてあの美しいブリリアントカットのダイヤモンドになるのです」と語っている。
そこで鉱物で一番固いダイヤモンドを削り磨くことができるのはダイヤモンドであるように、誰もが自分自身の輝きを放つダイヤモンドとして磨くためには、同じように輝く内面のダイヤモンドをもっている人間との関係の中でしかできないのだと指摘する。
「切磋琢磨」とは中国古典にあるこの言葉だが、「切」はのこぎりで切ること。「磋」はやすりで研ぐこと。「琢」はノミでうがって形を整えること。「磨」は砥の粉で磨き仕上げること。つまりは、翡翠(ひすい)や瑪瑙(めのう)、水晶、などの宝玉のもつ本来の美しさを引き出すことに語源がある。
 この「切磋琢磨」は、人間世界においても、お互いに刺激を与え合い、学び合い、お互いの能力をのばし、人間性を陶冶(とうや)していくという意味で、2500年前から使われているものである。

【学習学(コーチング)の基本】
 一人ひとりが、いつか、その人なりにヒーローになる可能性をもっている。
 これを信じて関わっていくというのが教育者としてのあるべき姿である。

■「むすび」にかえて
 「学習」の目的はどこにあるのだろうか。
本間氏は、中国古典の四書五経のうちの大学の「大学の道は明徳にあり」を指し示して、次のように語っている。

「人間の中に含まれている可能性、能力、潜在力、そのすべてをまとめて徳と言い、これがまだ発揮されていない、現れていないときに玄徳という。これが引き出されると明徳となり、あるいは引き出すことを明徳と言います」。

つまり「学習」の目的は、玄徳を明徳にすることであり、私たちの可能性や能力、あるいは潜在力という徳を明らかにすることである。生涯をかけて私たちの内にある可能性をひらき、人間性を磨き続けるところに人生の価値があり、目的があるのではないか。
そして人間の可能性や能力は、ただ独りで見出すことも磨くこともできないのであり、他者との関係性の中で切磋琢磨することによってお互いが光輝くようになる。そこに心豊かな関係を結ぶ家庭があり、朋友関係があり、よりよい社会が生まれ育っていくようになることがイメージされる。

◆本間正人/学習国家日本のビジョン
 【孔子の論語/第一学而】 子(し)曰(のたまわ)く、学びて時にこれを習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有り、遠方より来る。亦(また)楽しからずや。・・・

 学ぶことが楽しい。今まで出来なかったことが出来るようになる。知らなかったことが分かる。友と切磋琢磨することで、お互いに励まし合い、ひとりでは学べなかったことや、成し遂げられないことが成し遂げられるようになっていく。これが学習の世界だ!
 一人ひとりが自分の本領を発揮して、お互いに学び合い、お互いに切磋琢磨していく。それが学習国家日本のビジョンである。

 これからの日本の未来づくりは、真に「学習国家」を目指すべきではないだろうか。